小豆島といえばオリーブ、しょうゆ、そうめん、寒霞渓。そして忘れてはならないのは岬の分教場、「二十四の瞳」の壺井栄。大石先生(おなご先生)は戦争が激しさを増し赤紙で戦場にとられる教え子に対し、「名誉の戦死などするな。必ず生きて帰って」と声を潜めて伝えます。戦争が終わり教え子があつまります。家が没落し消息をたった生徒、誰にもみとられず病死した生徒、海の向こうで戦死した生徒、戦場で負傷し失明した生徒。48名も参加してくださったみなさんに、「いまは声を潜めることなく戦争反対と言える。勇気を出して声をあげましょう」と。
高松市に帰って南部支部の支部会議、亀岡中央支部のつどい、街頭演説に香川革新懇の戦争法案反対のリレートーク、そして協同病院のつどいと走り抜きました。協同病院は長女がお世話になっている病院です。9月に職場復帰の予定ですが、あたたかい先輩、同僚のみなさんに支えていただいて気持ちよい職場だといつもいっています。まずはお礼から話を始めました。
南部支部の会議では、新入党員のFさんがお父さんの戦争体験を語りました。「父は7人兄弟。兄はミッドウェー海戦で戦死、もう一人の兄は空軍で大けが、父は満州で地獄を見た。戦争は絶対にややってはならない。戦争準備が抑止力なんて間違っている」。
戦争法案反対の大きな息吹を感じる行動でした。